「はい、お茶でも飲んで。」
仕事で行き詰まった時、
そっとお茶を出してくれた人がいた。
湯呑から湯気が上っていく。
熱いお茶に息を吹きかける。
お茶の香り、お茶の渋味、
お茶のおかげで、一息つけた。
あまりに嬉しかったので、知り合いにその話をした。
「素敵な話ですね。うちの会社にも、そんな人がいたらいいなあ。」
また別の知り合いにも話した。
「それはいいですね。お茶の時間を作りましょう。」
時は流れた。
いつの頃からか、お茶の時間ができた。
時間になったら、お茶を入れる。
自分の仕事が大変でも、時間になったら、お茶を入れる。
嫌いな人にも、時間になったら、お茶を入れる。
お茶を入れるは、仕事になった。
でも、最初にお茶を入れた人は、仕事じゃなかった。
仕事に行き詰まっている人を見て、
少し休憩をした方がいいと思った。
お茶を入れたら、相手が喜んでくれるかもしれないと思った。
だから、お茶を入れた。
そのお茶は、思いやりのお茶でした。
・・・・・
新入社員が最初に見せられる映像だ。
今年の新入社員と一緒に、久しぶりに見た。
そして、気がつく。
朝、起こしてもらえること。
洗濯物が畳んであること。
帰ったら、夕飯が温かいこと。
親がしてくれたこと。
妻がしてくれること。
それは当たり前ではないということ。
そこには、思いやりがあるということ。
「はい、お茶です。」
そっと出されたお茶。
それは当たり前のお茶ではない。
「ありがとう。」
お茶を飲もうとしたら、茶柱が立っていた。
このお茶は、ありがたいお茶だ。